鼠力機関

鼠くらいの精一杯の力でもろもろぶん回せたらいいのにねえ。

なんというか、
わりと普遍的な、ひととのかかわりの「しあわせ」というのをまのあたりにしつつ、
でもそれは一生自分の手に入らないしおそらく望んでもいない。という。
そんな状況におかれて3年が経過した。

もともとしあわせのかたまりみたいなものごとを見るとなんだか急にひどく悲しくなってうわああああと叫び出したくなる(友人に「カラスヤサトシ現象」と名前をつけられた)のだが、
幸か不幸かそれを仕事としてしまったばかりにもうなんとも。
といってもそんな毎分毎秒ごとに叫んでいるわけにもいかず、たんたんと仕事をすすめはするのだけれど。
んで最近、大量のしあわせを見てばっかりいたツケがきたのか、
この先どうなるんだろう?
という疑念というかそんなもわっとしたものがわいて出た。

自分もそうなりたい!しあわせになりたい!と望んではいない。これは考えたうえでわかった。
(だいたい望んだとてそんなたいそうなものつかめる育ちをしていない。)
だから、しあわせ、というヤツはもう完全に他人事なんだけど。

ただ、このまま今の仕事を続けて年をとっていくのかな?と、不思議に思ったのだ。

そこでなんとなく社長の事を考えた。
で、ああ、ああいうふうに、
何か大きなものをあきらめたみたいな、そんなうっそり、ぼんやり、動くことが大儀なおおきい獣みたいになるんだろう、と思った。

そしてたぶんそういう生き方もしあわせなひととおなじくらい当たり前なんだろうな。とも。
まあ結論は出ない。

10年くらい前に終わらせておけ物思い。