鼠力機関

鼠くらいの精一杯の力でもろもろぶん回せたらいいのにねえ。

うしろむきの正当性を表現

[垂れ流し]

ひととのなんとない会話で、
10年ちょいちょい前を思い出したのだけれど。

それと同時に、10年前から好きでありつづけたもの、
5年前から好きではあるのに熱心に追わなくなったな、から考えて、
そういえば5年前、わたし、なにしてましたっけ?まで、考えが及んで。

・・・・・・あ、はてな使い始めたの、ちょうど5年前だわ。



まあ、そういえば今過去に係累のあった方々はどうしていうるんだろう、って、
悪趣味ながらも検索してしまったわけで。

で、後悔と、考え直しを今、している。


とりわけつよく思い出して考えたのは、

やっぱりあんたの言ってることはあんたのもので、
わたしのものじゃないよ。

ってことだった。


当時付き合いのあったひとに、
「美を追求しつづけなさい、ひとはそうあるべきだよ」と言われたけれど、
今にして考えりゃ、
あんたのいっていたのは考えて感じて出てくるものじゃなくてただ栄養のようにとりいれる美だったし、
それ、ないものねだり、って言うんじゃないですか?って。

そうだね、ないものねだりが極まればその姿は美しいかもしれないけれど、それたぶん愚者の崇高さでは。
そしてきっとそれはあんたが求めているものの中にはいらない。


そしてそのひとの「人間にはこうしなければなりません」みたいな、
自分でなぜそうするのかわかっていないのに、自ら発するものではないひとへの接し方っていうのをまざまざと思い出している。
マニュアルに沿ってるわけでもシステマチックなわけでもない、なんか本人の遠い、見えてこない、茫洋とした感じ。
魚のように何を考えているのかわからなかったよ。でも魚のようには食えなかった。


自分は独りだ。それはうまれついてのもので死ぬまでそうなんだ。
とよくおっしゃっていたのを覚えておりますが、
そんな世界中自分でいっぱいなこと言われたってもねえ。
口に出すまでもないでしょ。みんなそうだよ。

やっぱりあんたとは反りが合いませんでしたね!実に!



年月が経って、そのひとはだいぶいろいろなことがあったらしい。
でも変わっていなかった。昔と同じことを繰り返したままにしか見えなかった。

未来が大事、すべては先の中にしかない。って言っていたのはなんだったのかな。


わたしは。
わたしは、ぬくぬく過ごしてきた。
それが自分にとって良かったのか良くなかったのかわからない。
でもあったことだもの、捨てないことが本当だと思うからやっぱりあなたとはちがうんだと思いました。
わたしも変わっていない。

(ああ、でも、わたしのないものねだりはあなたのそれに負けましたよ。
ないものねだりは今、かたちをすっかり変えて、わたしを助けてくれている。)


ままごとのなかから抜け出せてよかったよ。
でもわたしは、未来より、過去を、以前あったことどもを、こどものおもちゃのごとくひきずってつれまわして、でも大事に考えています。
なんにも無駄じゃないよ。ありがとうございました。


生活の臭い撒き散らして生きていたい。



【2022追記】最近こいつのネトストしたら陰謀論者反ワクになっててざまぁっつった。