鼠力機関

鼠くらいの精一杯の力でもろもろぶん回せたらいいのにねえ。

すがれる人すがれない人


はてなダイアリーはてなブログってどうちがうの?


というアレはさておき腑に落ちぬことがあったので以下略。
頼りになる人かどうか、ってことじゃなく、
そういう行為ができるかできないかの謎。



職場のXさんが宗教にハマった。
なんでそれが発覚したかってぇと、
Xさんが自分らの知らないところで元バイトを勧誘したところあっさり失敗し、
そんでもってぶち切れた元バイトが、職場の仲良しだった人らにそのことをチクりにきてくれたためである。

勧誘はわりとオーソドックス。

道ばたでばったり会う→お茶でも飲まない?→友達呼ぶわ!→勧誘

のパターン。
元バイトは3人もきてファストフード店におしこめられて2時間くらい訳のわかんない話をされた、超卑怯。と言ってひたすら怒っていた。

元バイトの憤懣やるかたないため、
自分は元バイトをファストフード店におしこめやはり話を2時間ほどきいた。

ききつつ思ったのが、
「そこまでしてなんで生きたいのか?」
それね。

自分が自分も他人も大事にできないド腐れなのは承知の上。
放り出されたら死ぬ、力のない甘ったれだからいえる。
「宗教にすがってまで生きなきゃいけないの?」
「すがって生きたいほどのことなの?」

話きいてる感じ、Xさんは実生活でそんなつらいことがあったわけではないらしい。
ただ、他の仕事先がちょっとブラックで、精神的に弱ってたところに、その仕事先の先輩が宗教を持ち出してきたらしいんだな。

宗教そういうとこいやらしい!とかこの際おいといて。

別にハマろうが何しようが他人に実害さえ及ばさなきゃXさんの勝手なわけだけど、
自分が生きたい、つらいことから解放されたいがためにハマった宗教をさらに生きる力にして発散するのって訳わかんねーや。
自分は生きる力がなくてそういうの疎いんだけど、
Xさんは生きたいから宗教にすがったんだよなぁ。じゃあ、なんでそこまでして生きたいの?
つらいから何かにすがって生きていく、
つらいからって生きるのやめちまわないで、生きる方向になんとかもっていく。そこがホントわかんね。

いや自分だって首絞められたりすりゃ振り払うし斬りつけられたら逃げるよ、たぶん。
でもなんかそういうのじゃなくて、
自分(肉体じゃなくてこころ?)を生かすためにそういうことすんのか。できんのか。っておはなし。

自分はとてもとても依存心の強い阿呆なので宗教ハマってる人のこと笑えやせんのだが、それでもやっぱり不思議だなぁって思いました。
宗教に限らず、本当にそれだけを支えにして生きていく。っていうの、逆につらいと思うんだけどね。どうなんだろな。

自分には夢も希望もないので生きる力もありません。今日メシ食えて誰かと喋れてしあわせなんでそれで満足。死後を気にして宗教頼りに生きられる気がしねぇよ。って、そんだけ。